Tomo'S 三内丸山遺跡

三内丸山遺跡


1996年11月4日、青森県まで足をのばし、今話題の三内丸山遺跡へ行きました。東北自動車道青森インターを下りてすぐの運動公園の中に野球場を建設中に発見された遺構です。その規模は、今まで縄文時代に対して抱いていたイメージを一掃するものとなりました。人間って何千年もあまり変わってないんだな、と思いました。

●三内丸山遺跡

青森市の野球場建設現場で発見されたおよそ5000年前の縄文人の集落跡地。
直径2mの柱穴からイメージされる建物をちょうど復元建設中だった。現在は足場もはずされているが、僕が行ったときはまだ、建設中だった。
屋根の形については学説が分かれているため、当面は屋根なしでの公開となるという。
木材については栗の木が使われており、現在では国内で入手不可能のため、ロシアから運び、半年間燻煙したものを立てた。しかし、石斧しかなかった縄文人がどうやってこのような大木を切り出したのだろう。


●大型堀立柱建物跡

(縄文時代中期)
 地面に穴を掘り、柱を立てて造った建物の跡で、直径が約2m、深さ約2mの柱穴が3個ずつ2列に配置されており、この中には直径約1mのクリの木の柱が入っています。
なお、この柱と柱の中心の間隔はすべて4.2mとなっています。
柱穴の規模や柱の太さなどは縄文時代で最大のものであり、「物見やぐら」や「お祭りの施設」などを目的とした大規模な建物が建っていたと推定されます。
このような大規模な建物を建設するためには多くの人員を要することから、当時のムラのしくみを理解する上でも重要なものです。(説明板より)
(穴の中に木柱が残っている)

●子供のお墓

(埋設土器、縄文時代中期)
 子供の遺体は、土器の中に入れて埋葬しました。
この周辺では、これまでのところ約550個の埋設土器が 集中して見つかっています。
土器の中には、わざと底を打ち欠いたり、穴をあけたりするなどして、日常用具とは区別しているようなものもあります。土器の中から小石が1〜2個見つかるものが多く、埋葬時の習慣に関わるものと考えられます。(説明板より)



●大型竪穴住居

 これは、縄文時代中期後半(約4300年前)の竪穴住居です。
長さは約32m。幅は約9.8mでその床面積は229.4平方mとなっており、竪穴住居としては日本では最大規模のものです。
 建物は19本の太い柱で支えられています。周囲には溝が掘られ、柱穴が並んでいたことから柱にささえられた壁があった壁立式の建物であったと考えられます。これらの柱の間隔は、すべて70cmの倍数となっているので、当時、縄文時代の長さの単位(縄文尺)があったと考えることができます。屋根は、支える柱の位置から想定して、東側を寄棟造りとし、西側を入母屋造りとしました。
 屋根裏の一部には床を設けました。これは、大雪の年には西側の入母屋部分から出入りした可能性が考えられることと、また、物の保管などに有効に活用したのではないかと考えたからです。建物の高さは、地面から約7.5mで、竪穴の深さは1.2mとなっています。
 出入口の位置ははっきり分かっていませんが、大きい建物であることから3箇所設けました。建物の中には、石囲炉の跡が認められましたので、これを復元しました。
 材料はクリ材を使い、屋根と壁は茅葺きとしました。
 この建物の用途は、共同作業所や集会所などという説があります。(説明板より)



 (内部は驚くほど広い。そして縄文の建物は柱も太くて頑丈な感じだ。登呂遺跡の繊細さと比較してこちらは頑健なイメージ。)

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